朝方凄い風でしたね。

おはようございます

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今朝は、4時ごろ強風の音で目が覚め、

5時になっても収まらないので、走るのは断念するくらいの強風でした。

今は、風も収まり穏やかになりましたが、

西の山並みには、雪雲が掛かり、荒れ模様な感じに見えます。

ただ、空を見上げると青空が少しずつ広がり、

南東へと雲がゆっくり流れて行きます。

年が明けて、仕事が始まり、あっという間に1月12日です。

朝の出勤の道路状況は、雪が降ったり雨が降ったりと、

凍結しないように、塩カルが撒かれ、白く変色し、

行き交う車は舞い上がった塩カルで白く汚れているのが印象的です。

今朝は、昨日降った雨で濡れた道路が凍り、その上に薄っすら雪が積もった状況で、

滑りやすく、危険な状況でした。

私は、周りに車が居ないのを確認し、スタットレスがどの位効くのか、

ブレーキを強く踏むと、やっぱり横辷りするほど滑りました。

スタットレスタイヤとは言え、凍った道路は危険です、運転を慎重に、

早めのポンピングブレーキで、追突事故を起こさないようにしないといけませんね。

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今日の気温です

1月12日

 朝6時室内温度19℃

 外気温度-2℃

 昨晩の室内温度21℃でした。

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ちっと時間のある時に読んでみてください。

こんな話を読みました。

父親

俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。

ガンだった。

確か亡くなった当時の年齢は34歳だったと思う。

今思えばかなりの早死にだった。

呆気なく死んでしまったこともあるが、自分がまだ6歳と幼かったこともあり、

父の記憶はあまりなかった。

だから父のイメージは、俺の中ではあまり良いものではなかった。

どちらかと言えば怖いという印象しかなかった。

父の記憶といえば、一つだけ鮮明に残っているものがあった。

それはラーメン屋の中での思い出だった。

これも詳しくは覚えていないが、父はラーメンの大盛りを一つだけ頼み、

取り分け皿を一枚もらい、そこに俺の分のラーメンを入れてくれた。

多分、当時5歳くらいだった俺にとって、

取り分け皿の分量のラーメンでも結構な量だったのだろう。

食べるのに時間がかかった。

一生懸命食べたとは思うが、やはりそれなりの時間がかかってしまったと思う。

ふと見ると、父が俺のことを見ていた。

じっと見つめていた。

怖い顔をして睨んでいたような記憶がある。

『早く食え』と急かされているようで、嫌で怖い思い出だった。

ちらちら父の視線を盗み見たが、父はいつまで経っても俺を睨んでいた。

『何でそんなに俺のこと睨むんや…』と思ったが、父の表情が何となく怖くて、

再びラーメンに目を落とすと必死で食べた。

それが数少ない父の記憶だった。

そんな俺も母に女手一つで育てられ、30歳になった頃に結婚した。

そして男の子を授かった。

とても可愛く、目の中に入れても痛くないとはこのことかと初めて知った。

そして息子も先日、幼稚園に入る歳になった。

だが、仕事が忙しいこともあり満足に遊べてやっていない。

だから先週、日頃の罪滅ぼしにと息子を連れて2人で出かけた。

そして昼飯時になり腹が減ったので何が食いたいかと尋ねたら、

息子は「スパゲティが食べたい」と言った。

息子はまだ食が細いので、スパゲッティの大盛りを頼み、2人でシェアして食べた。

息子は一生懸命食べていた。

先に食べ終えた俺は、頑張って食べている息子がとても愛しくずっと眺めていた。

そんな俺の視線に気付いたのか、息子はちらちらと俺の方を見ていた。

俺も多少気恥ずかしくもあり、仏頂面で見て見ぬ振りをしつつ、

また息子が食べる姿を見ていた。

仕事が忙しく、普段あまり会話もない俺と息子だが、

だからこそ俺は息子がとても愛しく思えた。

気が付けば、いつまでも見つめていたいと感じていた。

あの時の親父の視線の意味が、今になってようやく理解できた。

父さん、ありがとう。

人生は、時が経つにつれ成長するものです。

自分が親になって初めて親の気持ちが理解できる、

それが人生なんですね。

父さん母さん、ありがとうと言える人生って素敵ですね。

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今日もみなさんが幸せな一日でありますように

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佐々木より

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